中島翔哉のキャリアはマネーゲームの犠牲になった?

中島翔哉もこの冬の移籍市場で移籍した一人。
ポルトガルの名門ポルトで背番号10を身に付けながらも、見合った活躍はできずに、塩谷司が所属するUAEのアル・アインへとレンタル移籍となった。

日本代表でも10番を背負い、持ち前のドリブル生かした攻撃力は各国からも一目を置かれる存在だけに、再び中東の舞台へと舞い戻ることになったのは残念でならない。
中島のこれまでのキャリアを振り返ると、2つの問題点があるように感じる。ひとつは移籍先を間違えたこと、もうひとつは中島のプレースタイルだ。

まずは、中島の所属チームに関して。

・ポルティモネンセ(ポルトガル)2017年8月-2019年2月
・アル・ドゥハイルSC(カタール)2019年2月-2019年7月
・FCポルト(ポルトガル)2019年7月-2021年1月
・アル・アインFC(UAE)2021年1月-

FC東京からポルティモネンセへの移籍は大当たりだった。
持ち前の攻撃力を活かして、ドリブルでのカットインから多くのゴールを決め、ゴラッソはニュースとなって日本にも数多く届いた。

この活躍で多くのチームから注目を浴び、ステップアップが期待されたが、移籍先は中東カタールのチームだった。この移籍が、その先の中島のキャリアに大きく悪影響を与えたと考えて間違いないだろう。
移籍先は5大リーグの中堅クラブあたりになるのではないかと予想していたが、格落ち感は否めず、欧州の目からも遠のいてしまう。しかも移籍金は3500万ユーロ(約44億円)の日本人最高額、これではステップアップではなくお金目当ての移籍にしか見えない。
当時の中島の市場価値が1800万ユーロ(約22億円)と言われていたことからすると、高値がついたことは間違いないが、その高値がその先の移籍の障害になることは十分に予想できた。

この移籍でひとつ不安に思ったのは、本田圭佑のCSKAモスクワ移籍と同じようにならないか? ということだ。
オランダのVVVフェンロで活躍が認められ、ステップアップが期待された本田が移籍先として選んだのは5大リーグではないロシアのCSKAモスクワ。CSKAモスクワ在籍時にも移籍話はあったが、高く売りたいクラブの思惑から移籍交渉はまとまらず、結局4年契約を全うして移籍金0でACミランへと移籍する。
だが、この4年間は長すぎた。選手として若くフレッシュな時期を逃してしまった印象だ。ミランに移籍してからの状況は芳しくなく、複数のOB選手からは「もう少し早い時期にミランに来ていれば」といった指摘をされた。

中島がアル・ドゥハイル在籍半年でポルトに移籍したときは胸を撫で下ろしたが、それでもアル・ドゥハイルへの移籍はやはり間違いだったのではないかという疑念は残った。それは、移籍金は1200万ユーロ(約15億円)で、ポルトとアル・ドゥハイルが半分ずつ共同保有するという形だ。要するに、高すぎて完全買い取りの移籍は無理だったということなのだろう。
そのため、契約解除金は8000万ユーロ(約97億円)にも昇り、これは高額の移籍金から設定されたものであり、中島本来の市場価値よりはずいぶんと高値で設定された言わざるを得ない。

ポルトで1年半は満足な活躍ができたとは言えず、この冬の移籍市場で再び中東へと舞い戻ることになった。移籍先はUAEのアル・アイン。メディアによると、シーズン終了までの期限付きで、4000万ユーロ(約50億円)買取オプションが付いているとのこと。

ざっと中島の移籍を振り返ってみると、やはり中東のカタールへの移籍がその後の足枷になっている元凶と言えるだろう。この高すぎる3500万円での移籍金は、どう見てもマネーゲームの始まりに見える。

アル・ドゥハイルへ移籍したときは、これはパリ・サンジェルマン(PSG)への移籍のステップだという情報も流れていた。PSGのオーナーはカタールの大富豪で、アル・ドゥハイルのオーナーと近しい間柄、ファイナンシャル・フェアプレー規則回避のための迂回移籍といった話。
なので、夏にはPSGの移籍が決まると思われていたが、結局ポルティモネンセ時代に獲得を熱望していたポルトへ移籍したことで、PSGの話は噂に過ぎなかったのかもしれない。
アル・ドゥハイル在籍の半年間で、中島はたいしてプレーしていない。元々一時的な腰掛に過ぎない予定で、代理人あたりがしかけたビジネス的な値のつり上げだったのだろうか。

更にさかのぼってみると、ポルティモネンセに移籍した当時の違約金は1000万ユーロ(約13億円)で、活躍と共に2000万ユーロ(約26億円)に釣り上がり、最終的には4000万ユーロ(約52億円)になったという。
そう考えると、アル・ドゥハイルの3500万ユーロでの移籍は妥当と言えなくもないが、そこに至るまでには、いくつもの有力クラブからのアプローチの話があった。
ポルトの他にも、スペインのセビージャやレアル、ドイツのフランクフルトやドルトムントなどが話題になった。値が釣り上がっていくとともにそれらのクラブの噂は消えていき、最終的にPSGが有力候補に残った。
結局、アル・ドゥハイルへの移籍となったときには、「ついに、日本人選手もパリ・サンジェルマンなのか」と思ったりもした記憶がある。

正直、マネーゲームにならずに、移籍金2000万ユーロくらいでポルトガルのトップクラブか5大リーグの妥当なチームへとスムーズに移籍していたらどうなっていただったろうか? と思わずにはいられない。

とりあえず、ポルトに戻っても状況が好転する可能性は低そうなので、まずはアル・アインで活躍して、再び欧州クラブの目を向けさせる必要があるだろう。

次回 プレースタイルの問題点

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