中島翔哉もこの冬の移籍市場で移籍した一人となった。
ポルトガルの名門ポルトで背番号10を身に付けながらも、見合った活躍はできずに、塩谷司が所属するUAEのアル・アインへとレンタル移籍をした。
中島のこれまでのキャリアを振り返ると、2つの問題点があるように感じる。
前回、「移籍先の間違い」の話をしたので、今回はプレースタイルの問題点について。
FC東京からポルトガルのポルティモネンセへ移籍後、2018年の年明けから少しずつ中島活躍のニュースは次第に日本に入って来た。日本代表にも召集されデビュー戦でゴールを決めると、間近に迫ったロシアワールドカップのメンバー入りも取りざたされるようになった。
結局、直前になって中島を代表に呼んだハリルホジッチ監督が解任され、西野監督に交代したこともあり、残念ながらロシアW杯行きは実現しなかった。
W杯後、森保監督が代表の指揮を引き継ぐと、中島は香川がつけていた10番を引き継ぐことになり、一転して日本代表のエース格へ。試合ではドリブル、ミドルシュートを武器に華々しい活躍を繰り広げた。
中島の注目度は俄然上がり、ポルトガルのポルティモネンセで躍動し、数々のドリブルで相手を奔走する姿やゴラッソの報が続々と届いた。
2019年に入ると、1月のアジア杯は直前の負傷により欠場、その後カタールのアル・ドゥハイルへ移籍、6月にはコパ・アメリカ出場となった。
この頃になってくると、それまで爆発的な攻撃力ばかり注目されていたが、徐々に中島のプレースタイルの欠点も指摘されるようになってきた。
中島のポジションは主に左サイドハーフ。左サイドのハーフウェイラインを越えたあたりからドリブルを開始し、独力でペナルティエリア付近までドリブルで進出して行く。そこに至るまで相手守備陣形を大きくかき乱すことになる。そこからミドルを打つことが多いが、味方へのパスを選択しても大きなチャンスを生み出している。
タイプとしては、左右逆だがアリエン・ロッベン(フローニンヘン)の得意なプレーを彷彿とさせる。
中島のドリブルは、なぜか相手の選手は止められない。
止められないドリブルと言えば今ではリオネル・メッシ(バルセロナ)が有名だが、中島のドリブルはメッシのようにタッチ数の多いものではなく、勢いがあり思い切りのいいタイプでディエゴ・マラドーナのドリブルの方がイメージが近い。
このドリブルを生かした攻撃力は、チームにとって強力な武器になる。
しかし、同時にボールをロストした場合には、中島のいたポジションにはぽっかりと大きな穴があいている。ドリブルを終えた中島はゴール付近のペナルティエリア内かそのすぐ外あたりのに位置している。ここで相手にボールが渡ってカウンターを喰らった際、中島が本来の守備エリアに戻るには大分時間がかかる。というか、自らが攻撃を終えたあとは、あまり戻ろうとしない。
攻撃力が魅力な一方で、守備力には大きな欠点を抱えているのが現状だ。
このあたりの代表の試合では、徐々に守備における欠点は指摘されつつも、やはり試合後の総評では、日本の攻撃における最大効果というような感じで称賛された。10番を背負い、攻撃の中心、文句なく代表のエースだ。
ただ、個人的には試合を見ていて、あの守備の穴は致命傷になりかねないとも思っていた。
「もし監督が交代せずに中島がロシアW杯に出場していたら、ひょっとしたらベスト16を突破していたのではないか?」という疑問はごくわずかだが持っていたが、この守備の穴を見ると「ベスト16突破の可能性もあったが、それよりもグループリーグで敗退していた可能性の方がはるかに大きかったのではないか」と思い直した。
コパ・アメリカが終わると、中島の新シーズンの去就が明らかになった。半年でポルトガルへ帰還、国内トップ3の一角で名門のポルトへの移籍だ。
ポルティモネンセ在籍時にも、ポルトは移籍先として相思相愛という報道はあった。中島に対するクラブの期待は大きく、背番号10が与えられたことからもそれが分かるだろう。
注)実際には移籍当初は8番、10番を付けていた選手の移籍により確定
リーグの第5節ポルティモネンセ戦で、中島のプレースタイルの欠点が浮き彫りになる。これほど、分かりやすい形はなかっただろう。
ポルティモネンセには、中島がアル・ドゥハイルへ移籍した後、権田修一、そして安西幸輝が在籍している。この試合、権田に出番はなかったが、安西は右サイドバックで先発フル出場。
中島はポルトが2-0とリードした展開で、後半28分から途中出場、主戦場の左サイドハーフに入ったことで安西と相対した。
リードしていたポルトだが、中島の投入直後に1点を奪われる。
このあとポルトの反撃の場面で、中島が左サイドから得意のドリブルでゴール前へと切れ込んでいったが、ゴールには結びつかなかった。
ポルティモネンセのゴールキーパーから、右サイドに上がっていた安西へのロングパスが通り、ペナルティアーク付近までドリブルで持ち込んでから見事な移籍後初ゴールを決めた。
この場面、攻撃参加していた中島が戻り切っておらず、ポルトの左サイドバックはマーカーのサイドハーフを見ていたが、フリーになっていた安西のケアもしなければならない状態。つまり、中島が戻り切っていないことで、2対1の不利な状況が生まれていたわけだ。
結果的に、この試合はポルトがアディショナルタイムにゴールを決めて、3-2で競り勝ったが、元々は2-0で勝っていた試合。中島の投入で流れが悪い方に変わり連続失点、しかも2失点目の原因は、明確に中島にある。
試合後、セルジオ・コンセイン監督はピッチ上で中島を激しく叱責、チームメイトが仲裁に入るほどだった。
このあと守備の面がネックになり、ポルトでの中島の出番はなかなか増えなかった。
これほど中島の欠点が分かりやすかった場面はないだろう。
ひょっとすると、相手のポルティモネンセは、中島が元所属していたチームだけに、熟知していてそこを突いたのかもしれない。
その実行したのが、同じ日本人の安西だったのは何の因果だろうか。
ポルティモネンセ時代を振り返ってみると、日本に伝わって来たニュースは中島の派手なゴールシーンやドリブルシーンばかりで、試合展開全体を伝えたものはあまりなかった。
その時点で、中島の弱点を突かれていたのかもしれないし、分かったうえで他の選手が上手くカバーをしていたのかもしれない。そのあたりの詳細は分からない。
ひとつ分かるのは、中島はポルティモネンセでは、かなり自由を与えられていたということだ。ポルティモネンセでは、ある種王様だった。中島が原因で多少失点が増えようと、それ以上に攻撃面で貢献して点を稼いでくれれた方がいい。中堅以下のクラブであるポルティモネンセでは、中島の攻撃力、得点力は貴重だ。
しかし、ポルトのようなチームに来たら、中島は王様ではいられない。チーム内でもかなり上位の選手ではあるが、競争を勝ち抜かなければ試合には出られない。
この状況は中島の実力からすれば、欧州5大リーグでも中堅クラブ以上であれば同様ではないだろうか。現代のサッカーでは、例えFWであろうとまったく守備をしないという訳にはいかない。
つまり、『中島翔哉の課題はメッシになるか、守備を覚えるか』ということだ。
メッシのようにチームの絶対的王様として君臨できるほどに攻撃力を磨き上げるか、一定水準以上の守備力を身に付けるか、そのどちらかをしない限り試合では通用しない。
あるいは、ポルティモネンセのように王様になれるレベルのクラブで満足するか、守備力を身に付けてより上位のクラブを目指すか、ということでもある。
昨シーズンまでのバルセロナで、メッシは右ウイングにポジションしていたが、右サイドバックはメッシの守備負担を軽減するための役割を帯びていた。
乾貴士も若い頃は攻撃力が魅力のMFだったが、ドイツのフランクフルトからスペインのエイバルに移籍すると、しばらくは守備面の問題点が指摘された。スペインでは守備における常識的な約束事があり、乾がそれを理解し、守備の意識を身に付けるには半年ほどを要した。今では、攻守のバランスがとれたMFになっている。
ガンバ大阪下部組織の史上最高傑作と評された宇佐美貴史の攻撃力は、ドイツの絶対王者バイエルンが目を付けるほどだったが、守備意識の乏しさから二度の海外挑戦が成功することはなかった。それでも、ガンバ大阪に帰還すれば、Jリーグでは宇佐美の華麗なオフェンス力はチームの大きな力になっている。
実は、セルジオ・コンセイン監督は中島の起用法でおもしろい解決策を見出し、それがうまくはまっていた時期もあるのだが、それはまた別の機会にお話したい。